2015年9月22日火曜日

ブログ再開

三日坊主という言葉を体現した当ブログですが、今日から再開します。
この九月から留学も二年目、来年の七月ぐらいには晴れて全コースを終えて卒業ということで、残りの一年弱ぐらいはちゃんと日々の学びや経験を書き残しておこうと思います。

さて、再開一発目ということで今学期にとるコースと論文の執筆について書いておこうと思います。まず、今学期に履修するコースは二つです。一つはResearch Seminar in Feminist Criticism and Pedagogy、もう一つはEducational Activism for Social, Economic, and Environmental Justiceです。両方とも僕が所属しているCurriculum, Teaching and Learning(CTL)という学科とは違うコースの授業で、Social Justice Education(SJE)という学科で開講されているコースです。

一つ目のResearch Seminar in Feminist Criticism and Pedagogyというコースはパウロ・フレイレ以降の批判的教育学研究、クリティカル・ペダゴジーの発展とそれに対するフェミニスト達の批判について学びます。

何のこっちゃ?と思われるかもしれません。簡単に説明します。デューイに並ぶ20世紀最大の教育学者・実践家にパウロ・フレイレという人がいます。このフレイレというブラジルの教育者が弱い立場に置かれた人たちをエンパワーする教育学(Pedagogyなので教授法って言った方がいいのかも)をブラジルの貧困が激しい地域で実践し大きな成果を上げました。フレイレが北米に亡命したこともあって、彼の教育学は北米の多くの人に影響を与えました。フレイレの主著『被抑圧者の教育学』は世界で最も読まれている教育学書と言ってもいいと思います。ただ、被抑圧者の教育学については、フレイレが白人男性ということもあり「フレイレの言う被抑圧者というのは男性の目線からしか語られていない!」という批判や「フレイレは黒人の抑圧状況についてわかっていない!」というような批判等多くの批判が寄せられました。こういった批判が建設的に積み重ねられることで人(主にマイノリティ)をエンパワーするための教育学(クリティカル・ペダゴジー等)が発展していきます。(フレイレやクリティカル・ペダゴジーについてはちゃんとした説明をしたいので、また別途記事を書きたいです。)

その発展の中でも特に女性の立場から思考するフェミニストからの批判が大きな役割を果たしました。Research Seminar in Feminist Criticism and Pedagogyという授業ではそういったクリティカル・ペダゴジー、そしてフェミニストの哲学を反映したフェミニスト・ペダゴジーについて学びます。リーディングの課題が半端ないので涙目ですが、本気で勉強したい内容なので気合い入れて頑張ります。

二つ目はEducational Activism for Social, Economic, and Environmental Justiceという授業。シラバスには、授業の目的は教育の領域において活動家として社会経済的そして環境に関する正義を促進するとはどういうことかについての理解を深めることだと書かれています。授業で扱うトピックはグローバリゼーション、クリティカル・ペダゴジー、環境問題など多様。クラスの半分は教師で半分はNPOで働く人という感じです。なんかActivismとか活動家とか言われると少しビクッとしてしまいますよね。この感覚は日本人だけのものではないようです(それでも日本人は戦後の色んな事件の記憶もあり過剰に反応してしまう方でしょうが)。ただ、カナダではより自然に民主的な社会の実現のために必要な知識と実践だと受け止められているように感じます(日本でも今ちょうど受け止め方が変わりつつありますね)。本来過激なものではなく民主的な社会に必要な一つのピースである活動家の理論と実践について肌感覚で学べればと思っています。

そして論文について。卒業に論文執筆は必須ではないのですが、なんとか頑張って書こうと思っています。僕の取得予定学位はM.Edなのですが、それだとコース10個だけで卒業できるんですよね。論文執筆が卒業要件のM.Aだとコース6つと修士論文ということになります。実は、アドバイザーの教授には修論を書きたいのならM.Aに変えてあげるよと言われていました。ただ、オンタリオ教育研究所で学ぶうちに自分が学びたいことが少しずつ変わっていっているのを感じていましたし、二年目にとれるコースの数が減ってしまうのはとても惜しいと感じました。なので、かなり冒険なのですがM.Edのままで論文を書き進めることにしました。そもそも入学当初はM.Aへの移行を狙っていたし、そのために一年目はとった五つのコース全部A取ったりと頑張ったのですが、自分の選択に悔いはあんまりないです。決めたからには進むのみ。

論文のテーマはアメリカの教育NPOの分析を入口にして、現代の新自由主義特有の権力のあり方を示すというものになる予定。フーコーに絶賛片思い中です。偉そうに書いてますが、まだ1ページも書けてないです。ただ、研究を進めるにつれて社会を変えようとすればするほど社会が変わらなくなる様子が浮かび上がってきました。日本の現状にも示唆が与えられる研究だと思うので頑張りたいです・・・!ただ、履修するコースのリーディングの量が半端ない。これで本当に自分の研究に時間割けるのか(そしてブログ書き続けられるのか?)。なんとかせねば。

最後に。昨年は色んな授業に出ましたが(機会があれば書きます)、主に北米の教師教育研究などを学んでいました。学ぶうちに教師が社会正義に果たす役割について関心が移り(というかたぶん言語化できていなかっただけで最初からこれに関心があった)、クリティカル・ペダゴジー等を学び始めました。

結局、僕にとっての一番大事な問いは「教育で社会を変えるってどういうことか?」なのだと思います。最後の1年はコースワークも論文もこの問いを中心に回るでしょう。

学問に打ち込める幸せを日々噛みしめています。
とにかく、日々の学びと出会いを大切にしながら残り一年を楽しみます。


ではでは。