2016年2月28日日曜日

イノベーションを起こせて、批判的な思考ができる、先生の言った通りに行動する人を育てる教育について

どうも、入澤です。
今日は以下の画像について考えたこと。

↓これ日本の教育のこと言ってるんですよね。わかります。 「はい、先生はみんなに自立して、イノベーションを起こせて、批判的な思考ができる、先生の言った通りに行動する人になってもらいたいと思います!」


上の画像と文章をツイートしたところ400件ほどリツイートされました。大拡散というわけではないですが、一週間経ってもジワジワリツイートされ続けています。もらったリプライの中で多かったのが教師の言葉の矛盾が「あるある」だよね、という指摘。ただ、私にはこの画像は「相矛盾するメッセージを発するダメな大人」以上のものを伝えているように思えます。この画像が伝えているのは正規のカリキュラムと隠れたカリキュラムの矛盾ではないでしょうか?

正規のカリキュラムは学校や教師が意図する生徒が授業の中で学ぶ内容のことです。年間、月次、週次の学習計画、使用する教科書や副教材、そして日々の指導案の中に生徒の学習内容は事前に準備されています。ですが、生徒が日々学校で学ぶことはそれだけではありません。学校の中の人間関係、行事、生徒の1日の過ごし方の定められ方、どのような行動が禁止され何が望ましいとされるのか、こういった全てが学校文化を作り上げ、生徒はそこから意識せずとも多くのことを学んでいます。この意識されない学びが隠れたカリキュラムと呼ばれるものです。

先生がどれだけ「クラス皆仲良く」と叫んだところで、テストによるランク付けが行われていたら、生徒はきっと先生の言うことを表面的に受け止めて「卒なく振る舞う」ことを学ぶでしょう。正規のカリキュラムと隠れたカリキュラムの両輪で考えないといけません。

さて、画像に戻りましょう。先生は「自立して、イノベーションが起こせて、批判的な思考が出来る」ようになることを生徒に求めています。この時点で生徒ー教師の関係は先生が生徒に対して一律に目標を掲げる権威的なものとして描かれていることがわかります。先生は生徒一人ひとりの学びの特性を把握してそれを伸ばしていこうなんて微塵も思っていなさそうです。さらに、先生はスーツを着て無表情に直立不動、一方生徒は姿勢正しく座っているという構図がこの関係性をさらに強固なものにしています。また、イノベーションや批判的な思考という21世紀の学びを掲げている割に、昔ながらの黒板、座席の配置が描かれており、これらの「最先端」な言葉の響きを空虚なものにしています。生徒はきっと、隠れたカリキュラムとして、先生が掲げる何かよく分からない新しい教育目標に自分を近づけていくことを学ぶのでしょう。「先生の言った通りの行動ができる人になってもらいたいと思います」という言葉だけが生徒の耳に残ったはずです。

さて、日本の学校文化、そこから子どもたちが学ぶ隠れたカリキュラムはどのようなものでしょうか?それは正規のカリキュラムで目指されているものとどれぐらい乖離しているでしょうか?

中学校とかどうでしょうね。係活動、委員会活動を通じて学校という大きな組織の一部分を担う大切さを教えられ、先輩後輩関係から年功序列を学び、本来的に何のためにやるのかわからない合唱コンクールなりのイベントに向けてクラス一丸となって頑張ることの美徳を叩き込まれ、作り込まれた感動に酔いしれるための態度を身につける。こういうのが隠れたカリキュラムじゃないですか?これって、イノベーションや批判的思考からめちゃめちゃ遠いですよね。ていうか20世紀のザ・企業文化って感じ。

正規のカリキュラムこねくりまわるだけじゃなくて、隠れたカリキュラムを把握して時代に合ったように変えること考えたいですよね。

今日はここまで。




0 件のコメント:

コメントを投稿