2014年9月16日火曜日

子どもに道路を開放するということ


こんにちは、入澤です。
今日はこの間偶然見かけたある光景について書きたいと思います。


スーパーに買い物に行こうと大通りを歩いていた時です。自分の住んでいる寮からほんの5分程の場所でした。いつもは車がびゅんびゅん通っている通りが閉鎖され、歩行者に開放されていました。それだけなら東京でも歩行者天国がありますし、新宿や銀座で見かけたことがあります。


ですが、トロントのものは少し違いました。道路が開放された上で、そこにチョークが置かれていました。子どもたち(中には大人も)がそのチョークを手にし、思い思いの絵を描いていました。私はその時、その光景にかなーり感動しました。





道路の開放が終わる直前に出くわしたのでどんどん人がはけていってしまい、写真を撮った時にはほぼいない感じに。。。残念。子どもの写真がとりたかったのだけど。

なんか大人もチョークを手に色々落書きしていました。おっちゃんからヤンチャな若者まで。





日本の歩行者天国って結局都心の大人、それも買い物など経済活動を行う人を対象にしたものだと思うんです。ところが、トロントのものは子どもたちを含めて対象としている点で明らかにそれとは違いました。


トロントの子どもたちからしてみれば、日本程ではないにしても車の往来が激しく、外に出るときは大人同伴でないといけない(法律で定められている)環境というのは息苦しいものだと思います。そのような環境で生きる子どもたちに、街の方から「我々は君たちのことを理解しているよ、大切に思っているよ」と言ってもらうことはとても大切に思えます。街が車の往来を止め、子どもたちに開放するというのはそのメッセージでしょう。


子どもたちは勉強を始める前から、遊ぶことを通して多くのことを学びます。
子どもにとって遊ぶことは人として育つ上でかけがえのないことなのですが、大人はそれをなかなか理解しません。ですが、トロントの街はそれを理解してくれている様に思えました。まるで街が子どもたちが子どもとして生きていることを歓迎している様に思えました。


日本でプレイワーカーとして働いていましたが、都立公園の中で開催しているプレイパークの前の公園内の道ですらチョークで落書きすることが禁じられていたので、驚きは一入でした。子どもたちが生きる上で自然に持つ遊びへの欲求が否定され続けるのが日本のように思えます。(子どもの権利条約では子どもの遊ぶ権利が掲げられているのですが。。)こんな記事もあります→http://matome.naver.jp/odai/2140963798547114201。これは道路じゃなくて公園ですが、このような環境では何も許してもらえない、認めてもらえないというメッセージばかりが伝わり、自己肯定感が低いままに育ってしまうのではないでしょうか。我々は大人の言葉がけばかり気にして、環境が子どもたちに与えるメッセージに気がついていないように思います。


道路の開放は一つの子どもたちへのエンパワメントだと思います。いつかこういった取り組みが日本でもたくさん見られる様になるといいと思います。まあ、最終的にはこういった取り組みがもはや必要ないって状態が理想なのでしょうが。。


最後に、インドのキラン ビア セイシさんの動画を載せておきます。
これを見て頂くとより一層私の言いたいことが伝わるかもしれません。





それでは、今日はこの辺で。




入澤

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