2016年1月27日水曜日

差別と闘い続けてきた黒人のおっちゃん教授に聞いた社会変革で大事な3つのこと

どうも、入澤です。
寮の乾燥機がおかしくなっていたせいで洗濯物が湿っていました。こんなことも慣れましたが、洗濯物回収→シャワー→就寝のリズムを壊されて悔しくはあります。1時間待ち時間が生まれたのでブログ更新。

今回は先学期のCritical and Feminist Pedagogiesの授業のお話。ゲスト・ティーチャーでカリフォルニア大学のグラス教授にスカイプでお話してもらった時のことについて。このときはちょうどパウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』の内容を扱う回でした。


グラス教授は教育哲学の教授で、一人の黒人男性として抑圧的な社会のあり方を変えるために教育学に何が出来るのかを真摯に考え続けてきた人です。若かりし時にはパウロ・フレイレ自身に師事し活動していたこともあります。


写真は若かりし頃のグラス教授とパウロ・フレイレって、、もじゃもじゃやないかい!!
すいません、取り乱しました。さて、僕は実はこのグラスさんがスカイプの画面に映った時とてもびっくりしました。というのも、アメリカ教育学会に昨年の四月ごろ初めて乗り込みましたが、そこのPedadogy of Hopeというセッションのオーガナイザーがこのグラスさんで、僕はその場でこの人に会っていました。その時は直接会話はなかったのですが、その深みのあるオーラと飄々とした語りにとても魅力を感じていました。

さて、グラス教授は「フレイレの『被抑圧者の教育学』は世界中で読まれているけど、だいたい皆理解してないんだよね。がはは。」というコメントから語り始めました。「フレイレの話題を振って、ああ銀行型教育ねという奴はだいたい何もわかってないよね。あっはっは!」だそうです。ちなみに一番大事な概念はhistoricity。まあ、ここらへんは書いても需要無さそうだし飛ばすぜ。

グラス教授のスカイプ授業で面白かったのは社会変革に必要な3つの態度というお話。それを紹介したいと思います。最初に英語で書いておくと、Epistemology without Certainty, Rightness without Discrimination and Social Movement without Violenceとなります。さて、一つずつ見ていきましょう。


一つ目はEpistemology without Certaintyです。これは簡単な日本語にすると「自分の世界の見方がすべてだと思わないでいること」とかになると思います。グラス教授は黒人として公民権運動の大きな広がりを体験しましたが、公民権運動は色々なマイノリティの運動として分化していきます。大きな運動の中にいる時は「みんな俺と同じ様に苦しめられているのだろう」と思っていたら実はそんなことは全然なくて、男性と女性で世界の見え方は違ったし、性的少数者の世界の見え方はまた違っていた。グラス教授は本当の連帯を実現するためには「自分は苦しむ人の気持ちがわかるし、代弁できるのだ」という奢りをを持っていないか振り返ることが重要だと語っていました。


二つ目はRightness without Discriminationです。日本語にすると「人間を上と下に分けず正しくあること」になると思います。これ、めっちゃ難しいですね。グラス教授は初めて大学の講師になった時、クラスのほとんどがグラス教授を慕ってきた有色人種の学生だったそうです。授業が終わった後、みんなで街を練り歩き食事をとって「その日、どんな差別に出会ったか?」を語りあっていたそうです。一通り語り合うと次にグラス教授は「じゃあ、今日お前等はどんな差別をした?」と聞いていたそうです。「いやー、それでわかったんだけど、俺もあいつらもみんな差別者だったんだよ。俺なんてもう何十年も差別されて、差別とずっと闘ってきてるのにいまだに差別者なんだぜ。がはは!!」とグラス教授は笑っていました。

グラス教授が言っているのは「あいつらは人を差別する終わっている奴ら、俺たちは人を差別しない良い奴」という二分法的な思考に陥っている限り、その二分法的な思考方法が支配する社会のあり方の根本は変わらないということだと思います。さらに一つ前の話ともつながりますが、マイノリティの間でも差別、抑圧は発生してしまいます。人間には自分よりも下の存在をつくり出して、それを見ることで安心しようとする傾向があるものだと思います。グラス教授はそれを乗り越えていくことの重要性を話したのでしょう。


最後は「暴力無き社会運動」。グラス教授は「暴力」というのは難しいトピックで今日の時間では語りきれないと言っていました。ただ、「非暴力」を掲げた運動のあり方についての理論をちゃんと学び、より一層教育学はこれらを取り込まないといけないと語っていました。正直、話を聴いていた学生的には「いいじゃん?暴力。」とかなかなか言えないわけで、あんまりここは盛り上がらずサラッと終わった印象。

ただ、驚いたのはガンジーが話題に上がったこと。歴史上の人物としてのガンジーは知っているけど、社会変革の方法論としてガンジーの非暴力の運動を真剣に考えたことなんかないですよね。ただ、その運動で歴史が動いたのも事実。どこまでもスケール大きく考えていいんだなぁとちょっと感動しました。


さて、どうだったでしょうか。今日はここまで。
僕はそろそろ勉強に戻ります。



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