どうも入澤です。
今日は先学期のEducational Activismの授業で教授が話していて「なるほど。わかりやすい!」と思ったインクルーシブ教育のカリキュラムのお話。
日本だとまだまだ特別支援教育の延長で話される傾向があるインクルーシブ教育ですが、カナダだと多文化教育などとあまり境界線を設けずに議論されている印象です。人種の違い、宗教の違い、障害の有無、言語の違い、身体的特徴の違い等など、そういった違いを持った人たちがどうしたら一緒の教室で学ぶことができるのか?というのがインクルーシブ教育が向き合っている問いです。この時、教室内の表面上の平等を達成して喜んでいるだけでなく、構造上の大きな不平等にも目を向けるべきだというよりラディカルな立場が今や主流です。その立場を明確にする意味でも社会正義教育(social justice education)という言葉が最近はよく使われます。
さて、教授は昔実際に教師としてトロントで働いた経験がある人で、教育委員会で子どもの貧困対策などEquityの問題を全般的に扱う部署のトップも勤めた、実践からの叩き上げの人でした。教授が言うにはインクルーシブ教育を本当に意味のあるものにするにはカリキュラムの中に3つのものが必要だとのこと。その3つというのは窓、鑑そしてドア。
一つ目は他者の現実を見るための窓。教室の外の世界に広がる過酷な差別、搾取、抑圧の現実を見つめるための機会がカリキュラムに含まれないといけない。まあ、でもこれは無いとお話にならない。
二つ目が生徒が自分自身を見つめるための鏡。自分の生活のあり方を振り返り、自分が持っている特権について考える機会がカリキュラムの中で確保されていないといけません。「世の中がこうなっているということは知った、じゃあ自分はその世の中でどう生きているのか?」というのが次に問うべき問いです。
最後はドア。ドアは行動と挑戦の象徴です。生徒が自分自身の問題として社会課題を捉えて、行動のために一歩踏み出すことを教師は後押しするべきです。教師は常に学習過程で生徒の中に生じる「それはおかしい!」というunfairnessの感覚を大切にし、それをプラスのエネルギーへと変換するのを助けないといけない。「私に何が出来るのだろう。。。」でカリキュラムを終えるべきではないのです。「世界にあるこの大きな問題に対して、私にはこれができるのだ」という気持ちを育み、一人ひとりが自分をチェンジ・メーカーと思え、考えたことを実践していることが理想です。
さて、「窓、鑑、ドア」というのはとても簡単なフレームワークですが、先生が自分のカリキュラムを見直すのにとても便利だと思います。役立ててもらえたら嬉しいなと思います。
では、勉強に戻ります。
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