Miss Representation の中にはアメリカのトップ政治家やニュースキャスター、学者、映画監督など多くの女性達が登場し、自分の経験やアメリカメディアの分析を共有しています。そのどれもが素晴らしく、この映画の価値を高めています。ですが、何よりも素晴らしいのは、この映画の監督が常に子を思う母として、アメリカ社会をこれから生きていく子どもたちのことを考えていることが伝わるところです。映画の中には何人もの女子高生が登場し生の声を届けています。その中にはリーダーシップポジションにつき活躍している生徒もいます。この映画の監督が女性として、人生の先輩として、その子の背中を押しているのを強く感じさせられます。
また、昨年の秋学期のCritical Pedagogyの授業はDepartment of Social Justice Education(SJE)で提供されていたコースだったのに対して、今回はCurriculum, Teaching and Learning(CTL)という自分が所属する学科で提供されるコースでした。SJEはOISEの中でも最も理論偏重、アカデミアで生きていくつもりの人たちが主に学んでいる学科なのに対してCTLは現役教員の人が多く学んでおり、実践に重きを置く学科です。そのため、コースの後半はCritical Pedagogyの実践についての論文を多く読みました。ただ、自分としてはちょっと物足りなかった感があります。実はCTLの中でも2つの学科にさらに分かれているのですが、この授業を提供する学科は言語教育についてコースを提供する学科なんです。そのため、言語的マイノリティに対する教育実践についての論文ばかり読みました。カミンズとかの論文が多かったかな。学ぶことは多かったですが勉強していて「あれ、これどこまでCritical Pedagogyなわけ?ちょっと違うくない?」と疑問に思っていました。まあ、もともとこのコースの創始者が今は名誉教授のカミンズ本人なので偏りは仕方ないのでしょうが。。。
あと、Critical Pedagogyの実践をまだしていない人たちの間であれやこれや実践のこと言っても実りのあるものにはあまりならないなぁと感じました(元も子もないこと書いた笑)。掲示板のディスカッションでよく起こっていたのが、1)「この論文に書いてあるような酷い事例、私の現場にも起こった」「俺も」「俺も」の傷の舐め合い、2)どんな議論していても最後は「教員養成課程でCritical Pedagogyをみんな勉強するようにならないとね」とまとめる教員養成課程への回答丸投げ、3)「政策、制度が変わらない限り難しいよね」という思考停止。特にコースの後半ではディスカッションにコミットするよりも自分で勝手に論文読んでいる方が楽しかったです。でも、1人Hip Hop Pedagogyの実践家の人がいて、その人とのディスカッションは楽しかった。その人のおかげで現場見学も出来たし。それについてはまた別に書きたいところ。
Foucault and the Health Professionの方は授業自体からはあまり収穫はなかったです。コースの名前からもわかる通り医学(特に精神医学)に関するフーコーの理論を用いた研究について学びました。教授も生徒も医学部の人ばかりでかなり異質な授業でした。自分としてはメソドロジーの部分をちゃんと身につけたいと思ってとった授業だったのですが、肝心な部分がとても適当。それは教授が悪いというよりかは日本と北米のアカデミアの性質の違いのようにも感じられました。Critical discourse Analysisとかは結構日本だと眉唾ものの研究手法といったところがあるのですが、北米だと普通に研究手法として受け止められているのでしょうか?あまり突っ込んだディスカッションもなくサッーと進んでしまい違和感ありあり。
生得的差異理論では不平等の原因を子どもたち自身の中に見出します。つまり、貧困状態に陥る人間は知的に生まれつき劣っているとする考え方です。一番わかりやすいのはIQでしょう。生まれもった不変の知性=IQという尺度があり、その値が低い人間は否応なく教育成果は低くなり、将来の年収や階級も低くなってしまうと想定されます。この考え方で不平等を説明するものとしてBell Curve (Murray and Herrnstein, 1994)という本もあります。
今日ではこの理論は支持されず、批判されています (例えば、Kincheloe et al., 1997)。そもそも科学的にも信用できず、人種差別的、反民主的だという批判が多くよせられているようです。この理論は1)知性は特定の尺度で評価でき、知性は人により生まれつき差がある、2)生まれつきの知性の差は教育成果の差であり、それは経済的成功の差につながっている、と示すことで、3)教育成果の差が生まれること、階級差が生じることは避けようがないことだ、という認識を肯定してしまっています。さらに4)知性が劣っている=社会的地位が低く貧しい、社会的地位が低く貧しい=知性が劣っているという誤った固定観念を世の中に広めることにもなってしまいます。 2. 文化的欠損理論
対して、文化的欠損理論は今でも比較的広く支持されている理論です。この理論では子どもたちが学校で問題を多く抱えるのは生まれついての知性が原因ではなく、子どもたちが属する社会集団の特性によるものだとされます。つまり、(劣った)遺伝か(劣った)環境か?で考えると環境だよと答えるということですね。この理論では、経済的に困難を抱える家庭やコミュニティの「欠陥」のせいで、子どもたちが知識、スキル、習慣、その他学校で成功するために必要な文化的な規範を欠いてしまっていると考えます。子どもたちへの教育に価値を置かない「貧困の文化」(Smaller et al., 1992)の存在を想定することはその代表例です。また、Ruby Payneという人が広めている教員養成プログラムがあるのですが、それは社会的規範から逸脱した貧困層を「矯正」する教員を育てることを目的としており、この理論に依拠したアプローチの例といえます。
最後の授業はAnti-Oppression Education in School Settingsという授業です。Anti-Oppressionとは日本語にすると「反抑圧」。つまり、日常的かつ構造的な差別の問題をどう捉え、どう変革していくかということを勉強していきます。反抑圧的実践は海外のソーシャルワークの世界で重要性が指摘され近年注目されていますが、それは教育の世界でも同じ。OISEの教師教育プログラムにも反抑圧的実践を学ぶ授業があり、去年から聴講したりしていました。反抑圧的実践は今まで勉強していたクリティカル・ペダゴジーとも関係しており、理解を深めたかった領域です。有終の美を飾るべく頑張ります。
はい、どうも入澤です。
今日は"One in Six: Education and Poverty in Ontario"(6人に1人、オンタリオの教育と貧困)という動画の紹介をしつつ、子どもの貧困について考えます。この動画はオンタリオ州の小学校教員組合が作成したものです。動画は英語で30分ほど。多くの人に見て欲しいですが、見なくてもなんとなくわかるように頑張って書きます。
そして、もう一つ大事なのは動画の中で"DANNY, KiNG OF THE BASEMENT"(ダニー、地下室の王様)という劇の紹介が行われていること。この劇は子どもの貧困問題の啓発を目的として作製されました。劇の中で、ダニーは母親が仕事を変える度に引っ越しを余儀なくされます。しかし、ダニーは自分を「引っ越しの王様」と名乗り、持ち前の想像力を武器に他の子どもたちを巻き込み、引っ越し先ではいつも素敵な友達をつくります。たくましく生きるダニーの姿は観客が持つ貧困の固定観念を揺さぶります。