今回はEducational Activismの授業でやったインクルーシブ教育を実現するための分析フレームワークにについて。主に社会とかのカリキュラムをイメージしてもらうといいかもしれません。ただ、学校での学びすべてに当てはまる、当てはめるべき分析だと思います。あと、カリキュラムは「指導計画」と考えるより隠れたカリキュラムも含めた「学びの総体」と考えてもらうといいと思います。
1. 社会階層再現モデル
このモデルのカリキュラムは社会のヒエラルキーの上位にいる人たちの視点から構成されています。その人たちは男性であり、異性愛者であり、中産階級以上であり、健常者であり、人種差別を受けていない人たちです。つまり、それ以外の人たちの視点、文化、経験、社会への貢献、情報が欠けてしまっています。選ばれうるあらゆる知識と経験の中から選ばれた「特定の知識」でしかないという自覚がこのモデルのカリキュラムには欠けており、自然なものとして受け取られています。他のあらゆる知識はこのヒエラルキーの上位の視点から評価され、既存の社会のヒエラルキーを支える知識の序列が出来上がります。そして、個人の「成功」のイメージはこのヒエラルキーの頂点の人たちを反映します。
2. 貢献モデル
このモデルではヒエラルキーの上位以外の人たちの視点、経験、知識が欠けていることが自覚されています。つまり「欠けている人たち」を探す姿勢は見られます。ただし、既存のヒエラルキーを反映した価値観に照らし合わせて、「素晴らしい」人たちが探されます。そのため、女性や少数民族の人たちも登場しますが、その人達は既存の社会のヒエラルキーを反映した価値観を受け入れて、その中で成功を収めた人たちです。もしかしたら、それ以外の「欠けている人たち」も含まれることがあるかもしれません。ですが、その時でもその人たちは例外的な扱いで、その人達の何が優れていると言えるのかまでは探求されません。
3. 抑圧モデル
程度の違いはあるものの、すべての人たちがカリキュラムに加えられます。ただし、新たに加えられた人たちは「問題」や「逸脱者」と見なされています。つまり、カリキュラムは依然社会のヒエラルキーを下支えする価値観を反映しており、その規範から外れた人たちを「被害者」と考えています。性別、人種、世代、障害などについての差別が政治的な現象として認識されているので、このモデルでは社会に存在している構造的な不平等の存在に対して分析を行います。ですが、社会の中で特権を持つ人たちの視点からのみ分析に留まります。
4. インクルーシブモデル
このモデルでは、すべての人々の知識、文化、経験の全体が組み込まれ、すべての人が社会の構成員として肯定されます。このモデルは障害、セクシャリティ、ジェンダー、人種、世代、階級などを考慮したインクルーシブなもので、多様な人々の生のあり方が反映されています。社会に存在する多様な知のあり方に配慮した領域横断的な学びが奨励され、競争に勝ってこそ成功者になれるという価値観に批判的な検討が加えられます。
5. 重層的インクルーシブモデル
このモデルでは、すべての人が社会の構成員であると認識されます。人類の歩みが直線的なものとしてではなく、重層的に形成されたものとして描かれます。このモデルでは、学習者は他者との違いだけでなく、共通性にも気付いていきます。人々は複数のアイデンティティを持つ存在として捉えられます。例えば、白人労働者階級の女性、中国人で中産階級のゲイの男性、そしてユダヤ教徒のレズビアン等です。社会のヒエラルキーはグローバルな視点から批判的に考察されます。
(以上のモデルはMcIntosh, Tetreault, Rosser SchusterそしてDyneをもとに作成)
授業では10冊ぐらいの社会の教材の中から一人一冊選んでこの教材を使った授業はどのモデルになりうるか?みたいな分析をしました。僕の選んだ教材は"Herstory"という歴史の教材で、HistoryつまりHis(彼の)+Story(物語)じゃなくてHer(彼女の)Story(物語)ですよ、女性の歴史ですよって教材でした。世界中の歴史上の人物が紹介されていましたが、思いっきり2.の貢献モデルでした。クラスメートの分析では、例えば黒人の歴史についての本を紹介していた人は、「黒人の歴史を抑圧の観点や一部の有名な黒人政治家の視点からのみ描かず多様で重層的なものと描いているから4.のインクルーシブカリキュラムに使えるし、教師のアプローチ次第では5.のモデルに近づけられる」と言っていました。
なんで5.の重層的インクルーシブモデルっていうのが一番理想的なものとして想定されているかというとインターセクショナリティという概念と深く関わります。それは近いうちに書く予定。
ではでは今日はここまで。
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