2016年5月14日土曜日

冬学期の授業の振り返り

こんにちは、入澤です。

今日は先学期の授業の振り返り。
先学期は2つ授業をとりました。1つはCritical Pedagogy, Linguistic Diversity and Cultural Diversityという授業。もう1つはFoucault and the Health Professionという授業です。

Critica Pedagogy〜の方はオンラインの授業でした。自分としてはオンラインで授業をとるのは初めて。映像を見たりとかは特になく、リーディング課題をこなして掲示板上でディスカッションするというもの。個人的には前から勉強している分野だったので知識が深められて良かったなと思う反面、初学でこの授業とっても何が何だかわからんだろうと思ったり。実際、自分の他に日本人の学生で言語教育のコースに所属する人がその授業をとっていたけどチンプンカンプンだった様子。フレイレからジルーやマクラーレンといったCiritical Pedagogyの理論家のところまでマッハで進んでいたし、その後のフェミニストからの批判等もそこらへん学んだことない人にはそりゃ難しかろうと思います。

また、昨年の秋学期のCritical Pedagogyの授業はDepartment of Social Justice Education(SJE)で提供されていたコースだったのに対して、今回はCurriculum, Teaching and Learning(CTL)という自分が所属する学科で提供されるコースでした。SJEはOISEの中でも最も理論偏重、アカデミアで生きていくつもりの人たちが主に学んでいる学科なのに対してCTLは現役教員の人が多く学んでおり、実践に重きを置く学科です。そのため、コースの後半はCritical Pedagogyの実践についての論文を多く読みました。ただ、自分としてはちょっと物足りなかった感があります。実はCTLの中でも2つの学科にさらに分かれているのですが、この授業を提供する学科は言語教育についてコースを提供する学科なんです。そのため、言語的マイノリティに対する教育実践についての論文ばかり読みました。カミンズとかの論文が多かったかな。学ぶことは多かったですが勉強していて「あれ、これどこまでCritical Pedagogyなわけ?ちょっと違うくない?」と疑問に思っていました。まあ、もともとこのコースの創始者が今は名誉教授のカミンズ本人なので偏りは仕方ないのでしょうが。。。

あと、Critical Pedagogyの実践をまだしていない人たちの間であれやこれや実践のこと言っても実りのあるものにはあまりならないなぁと感じました(元も子もないこと書いた笑)。掲示板のディスカッションでよく起こっていたのが、1)「この論文に書いてあるような酷い事例、私の現場にも起こった」「俺も」「俺も」の傷の舐め合い、2)どんな議論していても最後は「教員養成課程でCritical Pedagogyをみんな勉強するようにならないとね」とまとめる教員養成課程への回答丸投げ、3)「政策、制度が変わらない限り難しいよね」という思考停止。特にコースの後半ではディスカッションにコミットするよりも自分で勝手に論文読んでいる方が楽しかったです。でも、1人Hip Hop Pedagogyの実践家の人がいて、その人とのディスカッションは楽しかった。その人のおかげで現場見学も出来たし。それについてはまた別に書きたいところ。

ただ、教授はめちゃめちゃ丁寧に一人ひとりの学生と連絡をとってくれるし、どんな質問にも答えてくれて助かりました。ディスカッションにもいいタイミングで介入してくれていたし、本当に努力されていたのは伝わりました。Critical Pedagogyの必読ブックリストを作成して欲しいと言ったら応じてくれたのはちょっと感動。

他にコースを通じて感じたのは大学院での学習のあり方、キャリアの積み方の多様化です。夫の仕事の都合でオランダに引っ越して現在はインターナショナルスクールで教師をしながらパートタイムの学生としてオンラインでコースワークをこなしている人がいて、こんな生き方もできるようになっているのだなぁとちょっと驚きました。一人ひとりの生き方が多様化している現在では大学院のあり方もそれに対応したものじゃないといけないのでしょうね。

それと、日本で英語教師をしている人とのディスカッションがとても面白かった。日本の言語的マイノリティの子どもたちの現状についてのびっくりするぐらい詳しいレポートを作成されていて感動しました。ネイティブカナディアンの子どもたちへの教育についてしっかりと考えているカナダの教育者にとってはアイヌ民族のことを歯牙にもかけない日本の教育のあり方は信じられないといった感じなのだなぁと改めて考えさせられました。

Foucault and the Health Professionの方は授業自体からはあまり収穫はなかったです。コースの名前からもわかる通り医学(特に精神医学)に関するフーコーの理論を用いた研究について学びました。教授も生徒も医学部の人ばかりでかなり異質な授業でした。自分としてはメソドロジーの部分をちゃんと身につけたいと思ってとった授業だったのですが、肝心な部分がとても適当。それは教授が悪いというよりかは日本と北米のアカデミアの性質の違いのようにも感じられました。Critical discourse Analysisとかは結構日本だと眉唾ものの研究手法といったところがあるのですが、北米だと普通に研究手法として受け止められているのでしょうか?あまり突っ込んだディスカッションもなくサッーと進んでしまい違和感ありあり。

僕の研究はフーコーの統治性をメソドロジーとして用いるものなので、そこについて詳しく知りたかったのですがあまり参考にはなりませんでした。なので、自分で文献調べてずっと勝手に勉強することに。。。期末の課題としてそこらへんをまとめて提出しました。結果としてまとまった時間をとって考えるべきことを考えることができたのでよしとするか、といった感じです。

留学での勉強はいつも情報を得ることの難しさ、日本とカナダのアカデミアの性質の違い、大学の制度の違いや理不尽な適当さなど色んなことに翻弄されます。油断するとすぐにストレスがたまる。修士を終えようとしてやっと色々とわかってきたことも多く悔しい思いもたくさんしています。ただ、大事なのはその場その場でベストを尽くすことなのかなぁと。残りの日々をちゃんと有効に使いたい。

それでは!






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